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本★川端裕人『動物園にできること 「種の方舟」のゆくえ』
2005年07月27日 (水) | 編集 |
本★川端裕人『動物園にできること 「種の方舟」のゆくえ』(文藝春秋)1999.3.20

著者の頭にあるのは動物園は正当化できるかという問題意識。
昔、教科書に動物園批判の詩があったのを覚えています。
動物と触れ合うことを無邪気に喜んでいた子どもに、罪の自覚という刃を突き付けたあの詩。
(しかし詩人とタイトルは忘却してしまった!あかんやん・・・)

檻の中で行ったり来たりしているもの、同じ動作を繰り返すもの、
これらはやはり、ストレスから来る異常行動なんですね。

動物たちの自由を奪い、狭い檻の中で退屈な余生を送らせ、
そんな虐待に近いことをしてまで、何のために動物園が在るのか。
アメリカの動物園を見学し、それに対して答えを出そうという著者の姿勢は真摯です。

現在、動物園は棲息地保護と、それに必要な情報の提供(現地及び動物園の地元の人々へ)、
そして絶滅危惧種の飼育下繁殖を、主な使命と考えているらしい。
過剰なまでの‘使命感’を持つアメリカだからこその思想かも知れませんが。

本来、生態系が崩れて絶滅に瀕している種を、そのままの自然の中においておいては
遠からず絶滅します(もっとも、自然の絶滅を尊厳死と捉えるグループもあるらしい)。
そのために、動物園なり研究所なりが引き取って、繁殖させる。
(繁殖の方法は各種によって違い、その研究と実施にかかるコストは莫大ですが。)
かつては野生復帰が当然のように考えられていたけれど、
どうやらそれは非常に難しいらしいのです。
ゴールデンライオンタマリン(体長30cmほどの猿)が例に出されているのだけれど、
野生復帰させた後、他の動物に食べられるのは比較的まともな部類の死因で、
他は、木から落ちて頭を骨折したとか、誤って毒蛇を食べようとして噛まれてしまったとか、
蜂の巣に手を突っ込んで、刺されてショック死したとか、
何を食べていいか分からずに、そのまま餓死してしまったとか、
つまりは人の手で安穏と育てられた弊害が、そのまま出てしまったという結果。

生まれた土地に戻したいとは思っても、その自然が破壊されていては、ムリ。
だから棲息地保護が第一の問題として浮上してくるわけなんですよね。

スー・タニクリフ博士は、合計1000組に近い親子の会話を隠しマイクで録音し、
動物園で親子が交わす会話に体系的な分析を加えました。
その、99%は印象論。(かわいいとか凶暴そうだとか)、
85%が名前について。(しかしマーモセットもタマリンも一言「モンキー!」で済ませてしまう)
動物園が伝えたいのは、棲息地のこと、絶滅について、なんだけれど、
そんなことはほとんど伝わっていないのが現状。

動物園そのものは環境教育の場にはなりえないのかもしれない、と著者は憂いますが、
そこで、博士は一押し。
現在の子どもたちは多くのことを知っていて、7才の子どもが熱帯雨林の危機について憂い、
4才の子どもがリサイクルに熱心に参加するのだから、これ以上の情報は必要なく、
いま必要なのは知識や情報ではな 行動 なのだ、と言う。

エコ・フォビアという言葉があるそうです。
惨憺たる現実の自然破壊を知れば知るほど、子ども達は無力感に苛まれ
そういった問題を避けるようになる、ということのようです。
うんまあ確かに・・・でも無力感は、生きている間はついてまわりますよね。
それは、無常観とも繋がっていて、
わたしも、滅びるものは滅びる、と思っているところがあります。
(いやもちろん何でもそうじゃありません!
 基本的には、源氏から見た平家のことです(笑))

さて、現実に、動物園はどういった方法で、客に動物を見せているのか。
棲息地の雰囲気をそのまま作り出して、そこに動物を配置するという
ランドスケープ・イマージョン」。
しかしこれも、見る人間に対する効果を狙ったものに過ぎないのではないかと、
著者は考える。
さらに、観客も動物も楽しめる「エンリッチメント」。
この専門用語は知りませんでしたが、内容は昔から行われていることで、
自然界にあって動物園に欠けているもの(多くは刺激)を作り出すこと。
草食動物の尿を薄めて煮沸した液体を展示のどこかに塗って大型ネコを刺激するとか
(肉食動物がいない間に、檻の中を草食動物に歩かせて匂いをつけておくことも)
退屈した類人猿に絵を描かせてみるとか、
コンクリートの床で暮らしている動物たちのために、施設を改築せずに土を持ち込むとか、
食べ物入りの氷塊を作って、それを与えてみるとか。

野生動物たちは、いつ敵に襲われるか知れない、
ちゃんと獲物が狩れて食事にありつけるかどうかも分からない、という
強い緊張の下で、暮らしている。
人間もかつてはそうだったし、そういった不安や脅威のない場所こそが、
楽園だと考えるのではないでしょうか。

まさしく動物園こそが、そういう意味での楽園なのですよね。
狭いことと、土地も気候も合っていないことを除けば。

人間もヒト科の見世物として檻に入れば、仕事せずに食べていけます。
動物園は、労働の苦労なしに、必要な食事を与えてくれる。外敵を恐れる必要もない。

しかしそれは、社会福祉が行き届いたあまり、人生の目的を見失なったり、
考える時間が増えて、自殺者が増加するのに似ている。
何不自由ない社会、天敵のいない楽園、
心配も不安も、次に何が起こるか分からないという緊張感もない場所。
それは、単に倦怠が支配する世界なんでしょうか。
本当は楽園なんて、どこにもないのか。


ちょっと話がそれましたが、
展示されている動物を見て、可哀想な気にならない動物園なら、行ってみたいです。

最近、行ってないからなー・・・。
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コメント
この記事へのコメント
私も5年ほど前に川端さんの「動物園にできること」を読んだのですが、サブタイトルに覚えがないのと内容もなんか私の読んだのより専門的な気がして、違うのが出てるのかなあ?忘れてるだけなのかしら・・・。
「日本の動物園はまだ見世物小屋の延長である。それはお役所のせいでもあるけど、日本人が見世物小屋である動物園を告発しないことにも責任がある。」ってことが書いてありました。本当に、動物園に行くと却って悲しい気分になっちゃいますよね。小田原城の動物園はもう二度と行きたくないわー。象が可哀想過ぎた。
檻に鏡が置いてあって、「ヒト科ホモサピエンス」の名札があるのは、NYの動物園でしたっけ?
旭山、遅まきながら先日初めて聞きました。行ってみたいですね。
リハビリセンターで育ったオランウータンもかなりの数が自然に帰しても餌を自分でとることができずに死ぬそうです。
川端さんは、ペットショップで押収されて王子動物園が引き取ったオランウータンの子供の追跡調査をした「オランウータンに森を返す日」という本も(小学生向け)出してるので、図書館ででも見てみてください。
2005/07/29(金) 00:23:39 | URL | ユナコ #W1dgfsKM[ 編集]
ごめん、追加。
動物園批判の詩って、高村光太郎の「ぼろぼろの駝鳥」じゃないかしら?
こういうの


なにが面白くて駝鳥を飼うのだ
動物園の四坪半のぬかるみの中では
脚が大股すぎるじゃないか
頚(くび)があんまり長すぎるじゃないか
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろすぎるじゃないか
腹がへるから堅パンも食うだろうが
駝鳥の眼は遠くばかり見ているじゃないか
身も世もないように燃えているじゃないか
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ち構えているじゃないか
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆巻いているじゃないか
これはもう駝鳥じゃないじゃないか
人間よ
もう止せ こんなことは

瑠璃色の風、というのが、いかにもアフリカの青い空の風ですよね。
「これはもう駝鳥じゃないじゃないか」
というのが、忘れられない詩です。
2005/07/29(金) 00:27:56 | URL | ユナコ #W1dgfsKM[ 編集]
そうですそうです、高村光太郎でした!
強烈に印象に残る強い言葉の詩ですよね。
あれ読んだら、素直に動物園に行きたいなんて言えませんよー。
地どりで天王寺動物園に行きたいのに・・・(笑)
2005/07/29(金) 02:02:43 | URL | みなわ #eWQc6sqc[ 編集]
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