高村薫さん・五條瑛さん・福井晴敏さん・古処誠二さん等の小説、海外の海洋小説、歴史、B'z、を糧に生きている人間の日常。
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本★高木徹『大仏破壊 バーミアン遺跡はなぜ破壊されたのか』
2005年08月25日 (木) | 編集 |
本★高木徹『大仏破壊 バーミアン遺跡はなぜ破壊されたのか』(文藝春秋)2004.12.30

破壊と共に、もう終わったかの感のあった問題なのですが、
こう各地でテロが続いていると、根は深いなと思わせられます。
否、この一連の出来事は、まだ忘れてはいけないことなのでしょう。

9.11後の報道で、悪名高かったアルカイダですが、そのリクルートビデオには、
東京の浅草寺の映像が出てくるそうです。
あれが、現在も信仰あつい仏教寺院としての象徴なら、とんだお門違いだと思うけれど。

2001年2月末(同時多発テロの半年あまり前)、当時アフガニスタンの大部分を支配していた
タリバン政権の最高権力者ムハンマド・オマルが、アフガニスタン北部にある
巨大遺跡「バーミアンの大仏」を反イスラム的だとして、爆破破壊する声明を出しました。

バーミアンの大仏は、この地域に仏教が盛んだった頃、
天然の崖を利用して刻まれたものです。
大小2体、西大仏の高さ55メートル、東大仏の高さ38メートル。
三蔵法師もここを訪れて、その壮大さに感動したという記録があるほど古いもので、
正確な制作年代は不明ながら、4世紀頃だと推定されていました。


タリバンとは何か?

タリバン登場前のアフガニスタンは、事実上、無政府状態。
アフガニスタンにソ連が侵攻したのが1979年、撤退したのが1989年。
その間、ソ連を追い出そうと、アフガニスタン各地の有力者が、
それぞれの民兵組織を率いて戦い、
彼らはその戦いを、共産主義者に対するイスラムの聖戦と位置づけ、
自分達を聖戦士(ムジャヒディン)と呼びました。
戦いに勝利し、ソ連軍が撤退すると、共通の敵を失った聖戦士たちは
仲間割れを起こして戦い始めます。

この時代のアフガニスタンの状況を、
カブールにいた元情報省副大臣のホタク氏は、こう証言しています。

「たとえば罪もない人の頭を固定して釘を打ちつけ、
 殺すといったことが平気で毎日行われていました」

そこに、タリバンが登場。
山賊のような連中を、やっつけて、一躍、民衆のヒーローになります。
市民を虐げていた軍閥の司令官たちをやっつけたあとも何も要求しないし、受け取りもしない。
敵と戦うのも、街を占領するのもすべて「アラーの思し召し」によるもの。
後にタリバン政府のアメリカ代表部の副代表となったヌールラー・ザドランは、
タリバンが具体的に目指していたのは、3つの政策だったと述べています。

1,勝手に武器を持つ者を武装解除すること。
2,そのことによって、治安を取り戻すこと。
3,そして群雄割拠の状態にあったアフガニスタンの国土を統一すること。

そしてタリバンの占領した地域では、以前より確実に治安がよくなり、
生活しやすくなっていました。
当初のこうした状況を、アメリカは様子見をしながら、タリバン歓迎に傾いてきました。

ところが、その最高指導者オマルは、次第に変わっていきます。

そこに登場するのが、かのビンラディン

アフガニスタンに潜伏していたビンラディンですが、いわば彼は外国人。
彼がかつて何をしていたかというと、
対ソ連戦時代に、義勇兵たちの一時宿泊所と氏名登録所を開設した、
それが、あれほどの影響力を築くことになった、きっかけなのだそうな。

聖戦参加の希望に燃えてアフガニスタンに集結する若者達は、
アフガニスタンの玄関口であるペシャワールにやってきますが、
それから何処へどうやっていけばいいか分からない。
そうした戦士たちに便宜を図ったのがビンラディンで、
軍事教練も行って現地に送り込むような施設も作りました。
その組織のことをアラビア語で「基地」を意味する「カイダ」と呼び、
それに定冠詞の「アル」が付いて、「アルカイダ」。
かつては、連日メディアで連呼されてましたね。

タリバンと北部同盟との対立は、アフガニスタン国内の問題ですが、
ビンラディンが率いる寄せ集めのアラブ人は、タリバン側に味方した。
襲いかかるアラブ兵に向かって、北部同盟のマスード部隊の兵士たちは、こう言ったそうです。

「お金がほしければ、やろう。パスポートがほしければ、それもやろう。
 難民の資格がほしければ、それも補償する。
 それで、どの国にでも行けるようにしてやるよ。
 だけど後生だから、アフガニスタンの問題に
 首を突っ込むのはやめてくれ。
 我々は、アフガニスタン人同士で戦っているんだ。
 これはマスードとオマル、タジク人とパシュトゥン人の問題なんだ。
 君たち外国人は関係ない。他人の戦いに参加するな」

アラブ兵の返答は
「我々はアラブ人ではない。イスラム教徒である。
 国や民族は関係ない。アラーのために戦うのだ。
 聖戦をやめることはない」

いつの間にかオマルは、思想的にもビンラディンの影響を受け、
また、彼の持っている兵士と兵器なしでは、すまなくなっていました。

そんな中で、「勧善懲悪省」という、
イスラムに反した行動を取る者を取り締まる省が発足。
この宗教パトロールというのが、すごい。

まず、禁止条項を箇条書きで挙げていくと、

○男子がヒゲを剃ること
○女性が顔を隠さず外出すること
○音楽テープの所持
○カーステレオから音楽を流すこと
○凧揚げ(大人子ども問わず、この地域では人気だったらしい)
○鳩を飼うこと
○手品は禁止、手品師は職業を変更すること
○路上での夫婦の会話
○髪の毛をビートルズスタイルにすること
 (後に映画「タイタニック」が流行すると、主人公のしていた髪型を真似ることも流行ったが、
  “タイタニックカット”と呼ばれていたそれも禁止された)
○半ズボン(このせいで、友好国パキスタンから来たサッカーチームの選手を逮捕)

勧善懲悪省の役人は地方出身者が多く、イスラムの教義をさほど知っているわけではなく、
出身地方で行われていた慣習と異なる都会的なもの全てを “悪” と
みなしていたのではないかと、言われているそうです。

そのようなタリバンの高官にも、穏健でバランス感覚に長けた人はいました。
元情報省副大臣のホタク氏です。
彼は、渡米もしていて、サウスダコタにあるマウントラシュモアで、
歴代大統領の顔面が刻まれた巨大彫刻を、見たことがあります。
イスラムの教義からすれば、許せない偶像崇拝!
しかし彼が答えたのは、信者ではなく、研究者としての台詞でした。

「アメリカの民衆が、自ら選んだ指導者を尊敬していること、
 それをこのような形であらわしていることに、
 深い興味を覚えました。それがアメリカの文化なのです」

ホタク氏は、カブール博物館再開の式典における10分間のスピーチの中で、
イスラムについては全く触れず、宗教の話も戦争の話もしなかったそうです。
タリバン高官たちや、BBCの記者の前で。
それこそがバランス感覚なのだと思います。

どうしても噛み合わないことがある、
話して解決できないことがある、
ものすごく卑近なことで言うと、食べ物や音楽の好み、
あまり口に出しては言わないけど、思想的にもそうだ。感性も違う。
お互い理解し合えないことは、別に話さなくてもいいことだと思う。
そこで押しつけようとするから、武力闘争になる。
イスラムの抱える問題とはレベルが違うとお叱りを受けるかも知れないけれど。
一緒に住んでいたって、相容れない部分はあるのだし、
だからといって、一緒に住めないわけでは、ないじゃないか。

と、思うんですが、昔見たパレスチナ問題を扱った番組では、
「共存など出来ない!あいつらが出て行くか俺たちが出て行くかだ!」と言っていたので
闘争が長いと、怨恨の根も深くて、難しいのだなぁと思います。

日本も、周辺諸国との間にそういう怨恨を抱えてないわけじゃないし。。。


ところで、パキスタンの街ペシャワールは、
首都イスラマバードから西へ160キロほどのところ。
人口250万人だそうです。
パキスタンの中でも、ペシャワールはイスラム原理主義の色彩が濃いことで知られています。

先日見た映画「イン・ディス・ワールド」の主人公が、
ペシャワールの難民キャンプ出身でした。
パシュトゥン語しか話せないエナヤットや、
アフガン人だとバレることに怯えていた2人の背景が、よく分かりました。


タリバンが去ったアフガニスタンは、どうなっているのだろう?
室町幕府が瓦解した後の、応仁の乱、続いて戦国時代みたいになっているんでしょうか?
(お前はそんな喩えしか出来んのか・・・)
そういう時、強力な指導者が引っ張ってくれるというのは、確かに治安維持には効果がありますよね。
江戸時代の平和は、260年だよ・・・そりゃ抑圧もあったし、他藩は苦労したけど、
何もないのに殺されるような、無法地帯ではなかった。

専制君主制、独裁体制というのは、最初は良いんですよね。
最初は小さい勢力に過ぎなくて、そこを人々に認められるて大きくなっていく。
それまでは猫を被ってるのか、本当に誠実なのか。
しかし権力を手にした、その後がいけない。
必ず内部から腐敗し始め、脆くなったところを突かれて、崩壊する。

以前、タリバンが、イスラム法学者に対して主張したのは、↓だったそうです。

 「我々は、かつて異教徒が押しつけてくる共産主義と戦い勝利しました。
  今、再び異教徒が押しつけてくる民主主義という悪と戦うのが、タリバン運動の中核です。」

今、民主主義が悪だなんてことを国連加盟国の人間が言ったら、
正気の沙汰ではないというか、1+1=2を否定するくらい突拍子もないことですが、
そういう考え方をしている人や組織もあるんだということは、しっかり心に刻んでおきたい。
ここに今あることだけが、世界の全てではないということ。
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