高村薫さん・五條瑛さん・福井晴敏さん・古処誠二さん等の小説、海外の海洋小説、歴史、B'z、を糧に生きている人間の日常。
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本★奥山貴宏『32歳ガン漂流エヴォリューション』
2005年09月07日 (水) | 編集 |
本★奥山貴宏『32歳ガン漂流エヴォリューション』(牧野出版)2005.3.19

3冊ある内の2冊目。病状が、佳境に入ってきました。
血が止まらず、鼻からなめくじ状の血の塊が出てきたりするという描写や
医療技術の低い看護士に注射をされ、激痛を感じるくだりは
読んでいてつらくて、同僚と「昼読むか、寝る前に読むか」と話したりしました。

注射に関して、後輩は、
「この人下手だから代わってくださいって、どうして言わないんでしょうねえ!」
と、鼻息荒く怒っていましたが、そこまで強くは、なかなか言えないものですよね。
今後の扱いとか考えたら、病院側の不興は買いたくない。
ふだん丁寧に接してもらっている、お世話になっている看護士なら尚のこと
言いにくい。でも著者の場合、余命わずかと宣告されているのだし、
回避できる苦痛なら、なんとか取り除いてもらいたい。

医療技術に関して、著者の書かれていたことは、まさしく真実だと思います。
品性下劣な看護士であろうと、注射が上手ければいい、
どんなに優しく高潔で立派な人物であろうと、注射が下手なら去れ!と。
注射だけ受ける患者の立場としてなら、当然そう思いますよね。


以下、死に対する奥山氏の叫び。8行引用。

  怖いのだ、死そのものを見せつけられるのが!
  死に取り憑かれるとか、手首に傷を付けたりしているのは、
  所詮死とは無縁の健康な連中ばかりだ。
  戦争とは無縁な連中が、サバイバルごっこをするのと同じ。
  オレも飛んでくる弾が、模擬弾だったらと思うよ。
  でも、実際にオレに飛んできているのは実弾で、
  しかも頭と膵臓と肺の三ヵ所に、すでに被弾しているのだ。
  こんな状況でいつまで生きられるのか。


こんな状態であってさえ、単なる泣き言にならず、33歳の誕生日には、

  「恐らく人生最後の誕生日になるであろう、
   この日が、どんな一日になるのだろうか。楽しみだ。」


著者は、終末期医療としてのホスピスを拒否するのですが、

  「オレの現在の執筆スタイルは、絶望や孤独、
   死の恐怖からは切り離せない。 
   むしろ、そういったものたちを起爆剤にして」 書いているからだ、と。

これは物書きの魂というのかな。
ただ、孤独は孤独でも、山の中に独りで住むような孤独ではなくて
書くことで不特定多数の人物と繋がり、反応が得られる。
そういう中での孤独ですよね。

著者は、痛み止めにモルヒネを使う段階に来ています。
わたしの周囲でも、ここ数年ガンで亡くなった者が2人いるんですが、
残念ながら、このモルヒネ使用の件では、
本人が亡くなった後も、ご家族の間に亀裂が入ったままです。
どういった医療を選択するか、というのは、大きな問題です。

毎日病院に通い、必死に看護している末妹のAは、
激痛に苦しみ、「もう死なせてくれ」とまで言う母親の姿を見ているのがつらく、
医師から打診を受けた時に、モルヒネ使用を承諾します。
ところが、母危篤の急報を受けてやってきた姉Bと姉Cは
モルヒネで朦朧とした状態の母親を見て、衝撃を受ける。
姉2人は、いちばん近くに住み、しかも時間がありながら看病に来なかった。
その点でも、姉妹間で悶着はありましたが、抗ガン剤やモルヒネ使用などを
本人の意識がなくなった時点で決定する場合、ほんと大変だなぁと思いました。
生前に、出来れば多くの方々の前で公言しておくほうがいい。
でなければ、本当に面倒を見てくれた人に、かえって迷惑をかけることにもなります・・・。

わたしの親戚の場合は、老齢でしたから、70歳以上の身体機能で
負担の重い治療に耐えられるかという問題はありましたが、
長い先のこと(後遺症)は、考えずに済んだ。

でも著者の奥山さんの場合は、33歳という年齢でもあり、
モルヒネを打つのは本当に最終手段というか、
もう“後遺症の心配をするほど先はない”ということを、突きつけられる瞬間ですよね。
いくら癌細胞を殺せたところで、自分の肉体まで殺してしまっては、意味がないから。
33歳なら、治れば、もっと未来があるのに・・・!

わたし自身、今まで、数人の親戚の遺体を病院で見ているのですが、
「死ぬというのはこういうことか」と痛感させられます。
告別式に棺の中に入っている遺体は、化粧しているからきれいだけれど、
激しい闘病の痕跡が生々しく残っているそれは、
死を美化しようもなく、ただ現実として受け入れるしかない重さを持っています。

健康に生きている時の顔というのは、個人の美醜なんかとは関係なく、
ただ血が流れて細胞が活動しているというだけで、本当に美しいのだと思う。

奥山氏のブログはこちら
サイボーグお母様(日記には「サ母」と書かれていることが多い)の
書き込みが最後です。
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