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本★黒岩比佐子『日露戦争 勝利のあとの誤算』
2005年12月05日 (月) | 編集 |
本★黒岩比佐子『日露戦争 勝利のあとの誤算』(文春新書)2005.10.20

戦争は、一部の軍人が暴走したからといって、それだけで始まるものでもないと思う。
今は兵器の威力が違うので、最初の攻撃で決まることもあるかも知れないけれど。
本気で回避しようとすれば、出来たかも知れない。

しなかった理由。出来なかった理由。
それはやはり、民衆が沸き立ち、何か不思議な熱気に飲み込まれ、
戦争へ突入していったんだという気持ちがありました。
そういう感情の変化を見ていきたいとずっと思っていて、
やっぱり問題は日露の後だよな、と考えていた時に発行されたこの本を手に取りました。

この本では、日露戦争の講和条約調印に反対する人々が集って後に暴動となった
日比谷焼打ち事件」を中心に、当時の日本の状況や、人々の様子が書かれています。

1905年、日露戦争終結。
戦場にいる兵士には、どちらが勝ったか負けたかも分からないような
苦しい戦いだったのに、日本の新聞には連戦連勝の記事が書き連ねられていました。
当時の日本人は、戦時の増税に喘ぎ、働き手を徴兵された家は窮乏。
しかしそれに耐えて頑張っていたのに、だからこそ勝利したと思っていたのに、
講和の条件は、よくなかった。
賠償金を取らないような、そんな甘っちょろい講和条件て何だ!という怒り、
常日頃から鬱積していた不満が爆発したのが、この帝都騒擾。
交番や鉄道、キリスト教会などが焼かれて、死者と相当の負傷者を出した事件です。
300人ほどが検挙されたという、まさに未曾有の事態。

当時の総理大臣だった桂が、敵国相手ではなく自国民相手に苦労しようと、
それは新聞に正しい情報を伝えず、報道させなかったせいだろう。
(“ニコポン宰相”とは、にこにこ笑ってポンと肩を叩き人心を溶解させるということで
 桂太郎に付けられたあだ名。長州藩出身で伊藤と山県には頭が上がらない。)

でも講和に反対するなら、あんたらが戦場に来て戦い続けろよーと思ったのが
兵士の本音、というのも頷ける。
戦場から遠い場所で、「こんな講和じゃ軍人さんが可哀想」と言ってもなぁ・・・。
とにかくさっさと終わらせてくれよ、と思ってた兵士も多いはずだ。

この日比谷焼打ち事件では、単にその場にいただけの人に対しても、
警官が暴力を振るっていました。
そのため人々は、ますます警察に不信感を抱くようになってしまいます。
すごいのは、東京府会(当時は東京府)で
「警視庁廃止に関する意見書」が提出されていること。
今現在、警視庁をなくしてしまえ!なんて考える人はさすがにいないだろうけど、
当時は、廃止(というか大幅改正)も考えられるほど、
今のように確立した組織ではなかったんですね。

他府県の警察とは異なった命令系統で動く警視庁は、府知事の下にあるのではなく、
警視総監が内閣と直結して、そのため警視庁は内閣擁護の存在になっている。
そんな警視庁は廃止して、新しく民衆のための組織を作り直すべきだという、
素晴らしく的を射た意見のようです。


心底、人の感情というのは分からない、恐いものだなぁと思ったことは、
来日した英軍兵士たちを、たいそう手厚くもてなしていること。
いや、客をもてなすのは当然のことだし、これだけ見れば美しいことなんだけれど、
日英同盟が締結されたのが1902年、明治35年。
幕末にあれほど攘夷を叫んで、薩英戦争もあって、その先鋒だった薩摩や長州が
政権を握ったというのに、30年も経てば、この通り、「親英」に鞍替えかーと。
そうしてまた数十年経てば、「鬼畜米英」にすり替わる、この変わり身の早さ。

単なる世界状況の変化というだけでは説明のつかない、
人間感情の不可解さだと思います。
出来ればずっと、地球に住んでる仲良しのご近所さん、でいきたいものです。
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