高村薫さん・五條瑛さん・福井晴敏さん・古処誠二さん等の小説、海外の海洋小説、歴史、B'z、を糧に生きている人間の日常。
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本★福井晴敏『Op.ローズダスト』
2006年06月30日 (金) | 編集 |
本★福井晴敏『Op.ローズダスト』上下巻(文藝春秋)2006.3.15

ようやく読了しました。

“人類の発展より老後の保障を求め、科学の進歩より瑣末な不便の解消を求めて、
 文化も技術もマイナーチェンジをくり返すだけの社会に、
 全体の利益などはあり得ない。
 国家という全体の利益を考える頭は持てず、
 結局は一億分の一である自らの幸不幸に終始する。”
           (福井晴敏『Op.ローズダスト』下巻264頁)

耳に痛い言葉です。
国の政策が変更した為に、自分が減給されることがあるんだからね。
でも自分の不幸は他人の幸福。
全体の為になるなら、甘んじて受けましょう。

ところで。
イージスの如月行は、大学にも通い、都内に一人暮らしをするという
一般的な生活を送った過去がありながら、世間知らずな印象がありました。
知識とマナーと体技だけは完璧に身に着けているけれど、
「いそかぜ」に乗り込むまでは、人間を知らなかったんじゃないかっていうほどの。

一方、ローズダストの丹原朋希は、仲間との会話の中でテレビ番組名を口にしたり、
語り口も年相応な幼さをしていたり、身近に感じられますよね。
公安の並河さんも、職場では脂身扱いとはいえ、家族とはうまくいっている。

実はそういうところが、わたしが、小説としてはイージスのほうを好む理由かと
思いました。ローズダストのほうがリアリティはあると思うんだけれど、
小説の醍醐味とか楽しみって、そういうことじゃないのね。
リアリティが全くないのでは気持ちも離れますが、そこそこのリアリティでいい。
妻と娘が並河と仲良く描かれることによって、そして丹原と並河の娘の間に
淡い恋心が描かれることによって、並河と丹原の絆が普通の舅と婿のような関係を
想起させるものになってしまう。
それでいい人は良いのだろうけれど、わたしは、もうちょっと強烈な絆が欲しい。
仙石先任伍長と如月行のような関係が。
例えば並河は、命綱を放してまで丹原を助けに行けるのか。
妻と娘のことを考えたら、それは躊躇うかも。
それが普通なんだけどね・・・。
普通じゃないから好きなんです、仙石さんは(笑)


“戦後日本の恩恵をまるまる被ってきた世代が、
 行き詰まった腹癒せにリセットってわめいてるだけだ”(上巻202頁)

“一晩で三割が七割になる国、昨日までの自分を簡単に捨てられる国民たち。”
                      (上巻229頁)

日本人というのは確かに、そういうところがありますよね。
歴史上、近いところでの「断絶」は、明治維新と第2次世界大戦後なのですが
ころっと、価値観が変わってしまう。
今から顧みて、この変わり方は恐いと思ってしまう。
これは日本人に特有のことなのか、それとも普遍的なものなのか、
どうなんでしょうか・・・・・。

印象的だった台詞↓緑川から並河へ、
“「運命共同体なんだ。勝手に死んだら祟るよ。いいね」”(下巻362頁)
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