高村薫さん・五條瑛さん・福井晴敏さん・古処誠二さん等の小説、海外の海洋小説、歴史、B'z、を糧に生きている人間の日常。
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本★藤原正彦『国家の品格』
2006年07月09日 (日) | 編集 |
本★藤原正彦『国家の品格』(新潮新書)2005.11.20

いつまでも書店のランキングから消えないので、さすがに読もうかと。
最初は、なんだ何でこんな“当たり前”のことが書かれた本が
こんなに人気なんだ?と思ったんですが、読み進む内に変わりました。

不況感を煽り立てられ、経済の立て直しこそ第一の急務だと、
いつの間にかそう思いこまされている現在。
この、経済至上主義の風潮に警鐘を鳴らす本、だと思います。

疾走する人生の真ん中で、「おいちょっと待て」という言葉を
かけてみてもいいんではないでしょうか。
裕福であること便利であることは全てに優先する価値観なのか。
古くさいと積極的に忘れられているような、「名誉」や「恥」の
概念を、もう一度取り戻すべきではないのか。


“ゴネ得が成立する”(17頁)というのは、
著者が例に挙げている核兵器のことだけではありませんよね。
身近に、よく!実感します。わたしも企業の一員として、
営業の現場で、ゴネ得を見ているからです。
法律には「ゴネたらいけない」とは明記していない。
「法に触れなければ何をしてもいい」という考え方では
本当に荒廃した世の中になってしまう。
そんなところで生きていくのは疲れるだろうなぁと思います。

小学生に株の売買を教えることに対して、著者は

“小学生が新聞の経済欄なんかに目を通す必要はありません”(38頁)

そうですよね・・・。株の値動きに毎日気を取られて過ごすなんて。
それに、株の売買だけで1日に数万から数億という単位で儲かる
ということを小学生に奨励してしまったら、物作りの現場は
どうなるんだろうかと思うのです。
社会で働きながら少し投資する、ということならともかく、
ひきこもり状態で株だけやっているような、そういう人が増えては困る。


“国民というのは一体、成熟した判断が出来るものなのでしょうか。”(75頁)

を最初に読んだ時は、え、と思いましたが、でも事実そうなんですよね。
自分も含めて、何か事件が起こると、最初は冷静な判断なんか下せないのです。
テレビを置いたリビングと、その事件の渦中では、相当な距離があって、
過激なことが言いたくなるのでしょう。そういう言論が多いように思います。
残酷な事件の犯人に、テレビを見ながら「あんな奴、殺してしまえ!」と
言っているような人も、現実に当人の前に出たら、そんなことは出来ないと思う。
でも、裁判官や検事が「国民がそう言うのだから」と、世論そのままを
持ち込んではいけないと思うのです。
先の大戦でも、軍部は確かに暴走したけれど、国民が後押しをしたのは事実。
情報統制されていたからということも出来るけれど、それでもあの熱狂ぶりは。
それに、今でも情報統制はされているのです。
完全な情報を全ての人が持っているわけじゃない。

例えば、卒業式や結婚式、お葬式で、誰かに号泣されてしまい、
自分は泣けなくなったという経験はありませんか?
すっかり冷静になって、なだめたり励ましたりという役目を負ってしまう。

事故や災害などで、重症者がそばにいると、自分も軽症を負っていても
看病に走りますよね。

成熟した判断も、混乱も、その程度のものだと思うのです。
例えば何かの大臣だって、家でくつろぎながらテレビを見ている時は
他の“国民”と同じような感情で、感想を言ったりしているのではないかな。
でも、職場の豪華な椅子に座ったり、公的に関係者に会ったりしていると
いつの間にか“大臣”という立場で冷静に考えられるように
なるんじゃないでしょうか。

“民主主義や主権在民は平和を保証するものではありません。
 民主国家で戦争を起こす主役は、たいてい国民なのです。
 過去の話ではありません。イラク戦争を支持したアメリカ人は
 開戦時に76%でした。戦況が悪化した2年半後は39%とほぼ半分です。
 国民の総意とは、この程度のものなのです”(80頁)

最近よく議論されている愛国心については、
「ナショナリズム」と「パトリオティズム」を用いて説明されています。
後者は、“自国の文化、伝統、情緒、自然、そういったものをこよなく愛すること”
と定義されています。わたしは、いきすぎたお国自慢は好きませんが、
全く愛国心を持たない人が、政治家や外交官にはなれないと思います。
政治家は国を良くすることが使命ではないですか。
たとえそれが大義名分に過ぎないとしても。

著者のお父様がおっしゃったという言葉が、いちばん印象的です。

“父は「弱い者を救う時には力を用いても良い」とはっきり言いました。
 ただし5つの禁じ手がある。
 一つ、大きい者が小さい者をぶん殴っちゃいかん。
 二つ、大勢で一人をやっつけちゃいかん。
 三つ、男が女をぶん殴っちゃいかん。
 四つ、武器を手にしてはいかん。
 五つ、相手が泣いたり謝ったりしたら、すぐにやめなくてはいかん。”
“しかも、父の教えが非常に良かったと思うのは、
 「それには何の理由もない」と認めていたことです。
 「卑怯だから」 でおしまいです。”(127頁)


できるだけ卑怯にはなりたくない。
ついついラクな方へと向かいがちだけど、それでいいと開き直るのはいやだ。
気持ちを引き締めて過ごしたいです・・・・・
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