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本★保阪正康『東条英機と天皇の時代』
2006年08月05日 (土) | 編集 |
本★保阪正康『東条英機と天皇の時代』(ちくま文庫)2005.11.10

“東條英機”というとあまり良くないイメージがついているのですが、
「酒色に耽った」などは誤った報道なのだそうです。
そういった先行するイメージを払拭し、彼が本当に言ったこと、
為したことを知り、その上で彼を判断しようという試みがこの本です。

そうまでしても著者は東條を好きになれなかったらしく、
ちょこちょこ反感が覗く文章を織り交ぜつつ、しかし評価すべきところは
ちゃんと評価しています。
彼の面目躍如たるところが、連隊長としての部下の面倒見の良さと、
生来の生真面目さからメモ魔であり、質問にきっちり答えられるというところ。
多分、補佐官程度でおさまっていて、彼の暴走を許さない上官がいれば
有能な能吏で終わったんじゃないかと思うのですが、どうなのかな。

麻布の六本木に第一師団歩兵第一連隊がありました。
東條は、“連隊長を命じられると、赴任する前に、数十人いる将校の顔や名前、
性格、家庭環境まで暗記”(95頁)して臨んだらしいのです。
“入隊予定者に一家の主柱がいると、その人物が入隊すれば
 その家庭が困窮するため、入隊前に部下に命じて役場に行かせ
 生活保護の申請をして、不安を解消する。
 父兄には、連隊長の東條自身が挨拶をする。古年兵の初年兵への制裁や
 中隊長の傍若無人な振る舞いは、第一連隊に限って許さなかった”(96頁)
これは、理想的な上官に思えます。
ただし自分に反対する人間には容赦がなく(自分が正しいと強く信じているからか)、
憲兵を使って、恐怖感で統率することに。
一介の兵には優しいその態度は、「ホーンブロワー」のジェームズ・ソーヤー艦長を
思い出させるなぁ・・・。

大本営の発表はあまりにも真実とかけ離れていたけれども、
誰が情報統制をしたのか?というのがわたしの疑問でした。
本気で戦争を切り上げたかったのなら、真実を国民に伝えて
“玉砕”まで突き進もうとする世論を冷ませばよかったのだし、
それをしなかったのは、軍と政府の人気取りではないのかと。

しかし、どうやら戦闘の結果は、首相の東條も知らなかった(397頁)、
さらに、参謀本部の参謀でさえ知らなかったそうです。

戦況の正確な情報、指導者の対応、それは国家の最大機密とされていて、
閣僚にも知らされない。二ヶ月に一度の割合で開かれる重臣会議でも、
陸海軍の幕僚は本当のことは言わない(461頁)
開戦前から和平を主張していた米内も
“「どうして本当のことを教えないのか。われわれの発言を押さえるためにか」
 と憤慨していた”らしい。

東條が辞めてからも大本営発表は変わらない。
それなら誰が真実を隠蔽し、偽情報を流していたのか。
国民の厭戦気分を助長すれば勝てる戦にも勝てなくなるという理由もあるようです。
一見まっとうな理由に見えるところが恐い。
そういうことを頑強に生真面目に信じていたのが東條の限界だったのかと思います。
戦後は鬼畜米英が鬼畜東條みたいになってしまって、それはそれで大衆って恐いと
思うのですが。
昭和史はまだまだ明らかになっていない部分も多いですよね。
歴史になるのはこれからだし、史料もこれから出てくるでしょう。
(出てくることが良いかどうかは別にして、知りたいという欲求はあります・・・)
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東条英機東條 英機(とうじょう ひでき、新字体で東条 英機、1884年7月30日(戸籍上は12月30日) — 1948年12月23日)は、日本の大日本帝国陸軍|陸軍軍人、政治家、第40代内閣総理大臣(1941年10月18日 - 1944年7月18日)。階級位階勲等金鵄勲章|功
2007/05/18(金) 04:34:00 | あやの日記
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